がん患者が考えるブログ

このブログの想い。

このブログの想い。

このブログは、未来の4000万人に1人のがんの後輩のために書いています。

もし、同じ病気になった彼、彼女が「情報がない」それによって凄く不安になる……
という僕と同じ苦しみを味わうことがないように……


そして、今の若くしてがん治療を頑張っている同世代のみんなに対して、一緒に治療&闘病&未来への活動を頑張っていこー!

という気持ちを込めて書いています。

僕は、手術を終え、その日の午前2時頃……

ぱっと目が冷めました。

そして、すぐ気がつきました。

あれ?息が思うように出来ない。というか苦しい……

息が……息が……で・・き・・・な・・・・い・・・・


「がん」と言われてもなんだか遠い存在のような気がしていましたが、その時ばかりは本気で「死」を意識し、「このまま僕の人生は終わるのか」と想いました。

 

そこで、走馬灯のように過去の思い出が蘇って……こなかったので、自分で過去を思い返しました。笑。(実際はそんな余裕なかったので、さらっとだけ)

 

そこで、
「良い人生だった。世界一周も出来たし、良い友だちや仲間、みんなに出会えた」

 

「我が人生に一片の悔いなし」

と思いました。そう思えたのは自分でも誇りです。

ただ、「もしもう少し生きられるなら、どうしたいのだろう」

そうベッドの上で、息が苦しくて泣きながら考えた時、

「三片の悔い」が頭に浮かびました。

1つめは、両親へ親孝行が出来なかったこと。

ここまで育ててくれて、やっと社会人になってこれから親孝行をしていくところだったのに……と思いました。一番は親より長生きすること。それが叶わなくて本当に申し訳なく思いました。

2つめは、仕事で成果が残せなかったこと。

社会人二年目に病に倒れました。まだまだこれから……仕事で結果を残して社会人として一人前になりたかった。いままで勉強してきたりしたことが活かしきれずに、死んでしまうことはなんか、悲しかったです。

3つめは、社会貢献できなかったこと。
今まで、日本という素晴らしい国、学校、社会、そして家族や仲間が僕を育ててきてくれたことに凄く感謝しています。治療に関しても国民皆保険制度の素晴らしさや、病院の設備など全てに助けられてここまで育ててもらった。

ぼくは、それに対して何を還元出来たのだろう……

キシリトールという価値は果たして、この世に必要だったのかな……

もしもうちょっと生きることが出来るのであれば、皆に恩返しや社会貢献したいな……

……

そう思って意識がなくなっていきました……

翌朝、肺に穴が開いていることがわかり、緊急ミニオペをすることでなんとか命をつなぎました。

それから、一週間後、病室のベッドの上で、この時のことを思い出し、ぼくが、社会貢献できることは何かを考えました。


そこで1つ思い浮かんだこと。

それは、何処でもできる、見ることのできるWebで、闘病頑張っている人達に「一緒に治療や生活頑張っていきましょう」というメッセージを発信することが1つ出来るんじゃないかと思いました。

そう想ってこのブログを始めた……。

というのがこのブログの想いです。

 

だから、もしよかったらこれからのキシリトールとしての社会貢献を是非応援して頂ければ幸いです。

(そして、これが未来の僕と同じような患者の少しでも安心できるきっかけをつくることが出来ますように……)

※2013年、吉日。
※過去投稿しています。これからのブログ更新はリアルタイムです。

ぼくのがんの名前

ぼくのがんの名前をお伝えします。


それは

 

「胚細胞腫瘍」

 

……


はい!

聞いたことありません!

 

ちゃんと言うと、

胚細胞腫瘍(平たく言えば精巣腫瘍)の中の『胎児性がん』ってやつです。

精巣腫瘍って爆笑問題の田中さんが昔・・・・・

けど、自分の場合、精巣にはなくて無事!!(何がやw)
ですが、その代わりに首と胸と腹に複数散らばってはります。

(※この数年後にはきっちり精巣にできるのですがこのときは知る由もなく…※2018年追記)

化学療法と外科的摘出が主な治療となり、放射線治療は効果がかなり薄いみたいです。


さらにさらに、原発と呼ばれる「発症元は不明」とのこと。

ステージはこのがんで一番悪いステージ。

予後もこのがんでは、かなり珍しい、『予後不良』
(見通しが良くないってことですね)


まぁ、がんのステージ的には結構やばめやけど、
幸い、生存率は思ったより高めで
5年生存率約50%なんで、

「なんとかなるっしょー!」

って感じで日々過ごしてます!

 

あ、ちなみにですが

※ぼくの場合は

胚細胞腫瘍の確率は10万人に1人。

その胚細胞腫瘍の中から胎児性がんの確率が5%。

そして、原発不明がその中から5%。

なので、日本の人口から計算したら…


約4000万人に1人。


日本に3~4人ぐらいの確率??

 


けっこうレアな人種かもです。笑。

 


※胎児性がんは、10万人に1人の胚細胞腫瘍のなかの約5%です。原発不明の胎児性がん患者が確率上、日本で3~4人程というわけであって、胎児性がん患者が2~3人というわけではございません。
※全身転移とは、リンパのことです。臓器ではございません。
※医学的情報はこのブログではあくまで参考程度としてお考え頂けば幸いです。

 

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【がん闘病歴】

(24歳)
2012年春頃  頚部(首)のリンパ節が腫れ始める

(25歳)
2012年秋頃  胎児性がん(胚細胞腫瘍)との診断

2012年11月  抗がん剤治療 ※BEP療法 4クール
~2013年1月 

2013年3月  頚部と胸部の手術

2013年5月  腹部の手術

2013年6月~ 経過観察、自宅療養中

2015年07月 がん再発、第三回目手術

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※2013年、吉日記載。
※2018年、吉日修正。

キシリトールって誰ですか?(自己紹介)

みなさま、はじめまして。

 

おそらく、キシリトールって誰やねん!とか、
ガムなの何ナノ?食べれるの?

と思われたかたも多くいらっしゃるかと思いますので、少しこの場を借りて自己紹介をさせていただきます。

 


一言で言うと、

昔からずっと残念キャラでアホな子です。

あと、面白くないほうの関西人です。


……ただ、夢はでっかく、

【夢は世界を舞台に活躍する人物になること!】

を胸に描きいてきました。

幼少期からヘタレな自分が、
一念発起して、
2010年~2011年に約5ヶ月かけて世界一周してきました。


そこで、自分の夢とリンクさせるためにも
海外で働く日本人たちをインタビューして周ってきました。


東南アジアでは学校
中東ではNPO法人
欧州では大手証券会社
南米では大手商社
北米ではネット企業


などなど……


旅のなかでは、

出会ったばかりの人がスリ・強盗に遭う。

ぼくはインドとパキスタン国境の紛争地へ飛ばされたり……。

 

その中で気づいたことは、


【いつ何が起こるかわからない!】ということ。


そこでは、


【なんとかなるんちゃう?精神】


がとても大切だ!ってことでした。


いつも、トラブルに巻き込まれても


「なんとかなるっしょ。今、生きてるんやから」


と。

そして社会人になり、東京・渋谷のサイバーエージェントグループで働いていると、

社会人2年目を迎えた24歳の春頃から、首にしこりが。

おめでたい勘違い男のぼくは、

「あぁ、最近風邪気味やし、リンパ、俺のために頑張ってくれてるんやー!」

と意味不明な解釈で仕事を優先させました。

そして、25歳を迎え、
秋頃から、本格的に体調がおかしくなり、
頚部(首)のリンパが『こぶし大』の大きさにまで……

さすがにヤバイと思って病院へ。


そしたら、「がん」との診断。


しかも、全身転移、全身がんと言われました……


それから緊急入院・即抗がん剤治療。


手術もしながら、健康な身体を取り戻すため、


【なんとかなるんちゃう?精神】で頑張ります!


目標は30歳まで生きること!


夢は世界を舞台に活躍すること!


応援していただければ幸いです。

 

ま、なんとかなるっしょ!?笑。

だってまだ生きてるんやから!

※2013年、吉日。
※2018年、吉日修正。